夢を語ろうとすると、なぜか“笑われる気がする”。
応援されるイメージじゃなくて、バカにされるイメージ。
なんでなんだろう?
振り返ると、たぶん俺は若いころ、冷笑主義だった。
ただ茶化すだけじゃなくて、心のどこかで“あざ笑ってた”。
「そんなん無理やろ」「何を夢見てんの」「意識高すぎ」
夢を語る人や頑張る人を見て、どこか斜に構えていた。
なんの影響だったか。たぶんネットだ。
Twitter、掲示板、コメント欄。
夢を語る人が“意識高い系w”ってラベリングされて笑われる。
そんな空気の中にどっぷり浸かって、俺も人の夢を笑う側にいた。
でも、そんな自分への“ツケ”は確実に返ってきた。
いざ自分が大きな夢を持とうとしたとき。
「100万部の本を出したい」「人を笑わせて勇気づけたい」
そう思っても、口に出すのが怖くなる。
「笑われるんじゃないか」「あいつらに馬鹿にされるんじゃないか」
そんなイメージが浮かんでくる。
でも実際に笑ってくるかどうかなんて、わからない。
むしろその“笑われるイメージ”を勝手に作ってるのは、自分自身だった。
つまり、自分の首を自分で絞めてたってことだ。
——なぜか?
それはきっと、かつて自分が他人を冷笑していたからだ。
「潜在意識は主語を理解できない」って言葉がある。
つまり、他人を笑ってたあのとき、俺は“自分自身”を笑ってたことになる。
「夢なんて無理」「頑張ってるやつはダサい」
その言葉は、まわりまわって、自分自身に返ってくる。
まさに因果応報。
誰のせいでもない。自分のせいだ。
俺は今、そのツケを払ってる。
だからといって、夢を諦める気はない。
人を笑わせて、ためになるコンテンツをつくる。
100万部の本を出す。
夢を語ることを笑ってしまうような空気を、少しでも変えたい。
そのためにまず、自分が変わる。
冷笑せず、人を応援する。
「お前ならできるよ」って、言葉にする。
潜在意識は主語を理解できない。
だから他人を応援すれば、自分を応援していることになる。
夢を語れなかったのは、過去の自分のせい。
でも、これから語れるようになるのは、今の自分のおかげ。
まだ遅くはない。
冷笑の時代に終止符を打って、今度は応援の側にまわろう。