カテゴリー: 未分類

  • 浮つくな

    調子が悪いときに沈みすぎるな。
    これはよく言われるし、自分でも気をつけている。

    でも、もっと大事なのは――
    調子がいいときこそ、浮つくな。

    「いけそう」「上手くいきそう」
    そう思えるのはいいことだし、ポジティブなイメージを持つのは大事。
    でも、“それだけ”になったら危ない。

    浮かれて、気が緩む。
    「俺ならいけるやろ」と油断する。
    それが、足をすくわれる一番のパターンだ。

    だからこそ、いつだってバランスが大事。
    できると自分に言い聞かせながら、最悪のシナリオも想定しておく。
    楽観と警戒を、同じくらい持ち合わせる。

    やるべきことを、淡々とやる。
    浮かれる前に、手を動かす。
    それが、道を切りひらく唯一の方法だ。

    だから――

    浮つくな。
    やってやろう。

  • 兆しが見えてきたときこそ、油断せず積み上げること。

    行動を続けていれば、いつか必ず“兆し”が見えてくる。

    「あれ?もしかしてうまくいくかも…」
    そんな感覚を覚える瞬間がある。

    でも——
    そこで浮かれてはいけない。

    まだ“兆し”が見えただけだ。
    結果は出ていない。確証もない。
    ただ、ほんの少し“可能性”が見えただけ。

    迷路を彷徨っていた分、その光がやたら眩しく見える。
    嬉しくなって当然だ。
    でも、そこで気を抜いたら終わり。

    むしろ、兆しが見えた“今こそ”が一番重要。
    淡々と、着実に、やるべきことを積み上げていくフェーズだ。

    マイナス思考になる必要はない。
    でも、あえて「まだまだだ」と思うくらいがちょうどいいのかもしれない。

    調子が悪いときも、良いときも。
    結果が出ないときも、出そうなときも。

    やることは、変わらない。

    目の前の一歩を、今日も積み上げるだけ。

    人生は、“積み上げ”のゲームだ。
    最後に笑えるように。
    今はただ、やるしかない。

  • 堕ちてる自分も自分

    「最近サボり気味やな」「なんもやる気起きん…」
    そんなとき、自分にムチ打ってないか?
    でも、堕ちてるときこそ大事なんは「自分を責めること」ではなくて、「受け入れてやること」

    ・理想はある。「こうなりたい」って思ってる。
    ・でも、YouTube見すぎた日、寝過ごした朝、何もしないまま終わった休日…
    →そんな自分を「クソや」とか「俺なんか」って責めてしまう。

    でも、それが「人間」。
    365日ストイックなやつなんかいない。。。。はず?

    ・調子いいときは、何やっても楽しい。
    ・でも、大事なんは「調子悪いときの自分」とどう向き合うか。
    → そこに“本当の器”が出る。

    落ちてるときの自分を「切り捨てる」のか、「受け入れて寄り添う」のかで、人生って変わってくる。

    ここで勘違いされがちなんが、「受け入れたら甘え」ってやつ。

    でも違う。「今の状態」を認めることと、「居心地よくそこに居座ること」は違う。

    〇受け入れる:
    →「今日はできなかった。でもまたやろう」って、再スタートの準備をすること。

    ×甘える:
    →「俺はこういう人間やから無理やねん」で、あきらめること。

    野球で例えるとわかりやすい。

    ⚾︎活躍する4番バッターだけが「自分」じゃない。
    ⚾︎打てない日もあるし、エラーすることもある。
    でも、全部「自分チーム」の一員。
    →どんなときも「お前も必要」って言ってあげないと、チームは崩れる。

    人間、堕ちるときもある。怠惰になるときもある。
    でもそれも込みで「俺」。
    → 自分を受け入れて、「じゃあここからどうしようか」って始めることが、最初の一歩。

    酒飲んだ?作業さぼった?

    甘えちゃだめだけどそれも人間であり自分。

    今から切り替えていこう。

  • 「月末月初に神社に行って“思い切ってお賽銭”するのがいい理由」

    神社でお祈り、最近してるだろうか?
    …そもそも神社自体、行ってない人が多いはず。
    「初詣ぶりかも」「縁日で行ったくらいかな」って人、多いと思う。

    別に毎日行けってわけじゃない。
    ただ、月末と月初に行くのは、めちゃくちゃおすすめ

    「神頼みとか、そんなもので夢や目標叶うかよ」って思うかも。
    わかる。
    でも神社に行ってお祈りするのって、実は自分のためになる行動になる。


    ① お賽銭とお祈りで心が整う

    まず、お賽銭を入れて手を合わせる。
    それだけで、けっこう気持ちがスッと落ち着く。

    普段、仕事とか人間関係でザワザワしてる頭が、静かになる。
    しかも神社って、自然に囲まれてることが多いから、軽く森林浴にもなってる。
    心も体も、ちょっと整う。


    ② 月末:今月を「振り返る」時間になる

    お祈りって、ただお願いするだけじゃなくて
    「今月どうだったかな?」って内省の時間にもなる。

    「あ〜今月、ちょっとサボってたかも」
    「けっこう頑張ったやん、俺」
    そんな感じで、自然と自分を見つめ直せる。


    ③ 月初:「目標を思い出す」タイミングになる

    月初に神社でお祈りすると、「今月、どう過ごしたい?」って自分に聞く時間になる。

    普段って意外と目標を見失いがち。
    でも、神社に行って手を合わせてると
    「そういや今月は、○○に挑戦するんやったな」って思い出す。


    ④ お祈りは「意識づけ」になる

    部活で「全国大会出場!」って壁に貼ってるのも、
    結局は**“意識することが大事”**っていうのを知ってるから。

    神社で夢や目標を口に出すのも同じ。
    意識する回数が増えれば、達成率って上がるもんやと思う。


    結論:叶うかどうかより、「自分のため」になる

    神様が願いを叶えてくれるかどうかより、
    神社でお祈りすること自体が、自分にとって価値ある時間になる。

    せめて月末と月初、ちょっとだけ足を運んでみてほしい。
    願いごとというより、自分を整える時間として

  • 自分磨きに逃げるな。でも、やめるな。

    自分磨きは、とても尊い行動だ。
    筋トレ、勉強、早起き、健康管理…それを日々続けるだけで、ほとんどの人より上にいける。
    だけど、そこには落とし穴がある。
    それは——
    自分磨きに逃げていないか?」という問いだ。

    成果を出すって、ほんまにしんどい。
    そもそも成果が出てないことをやるんだから、当然うまくいかないことのほうが多い。
    するとどうなるか?
    「まだ力が足りないだけや」「もっと準備してからやろう」と、また自分磨きに戻る。
    でもそれ、本当に今やるべきこと?
    本当は行動しなきゃいけないんじゃないか?

    ゲームなら、パワプロみたいに能力上がるバーが出てくる。
    「筋力上がった!パワーB!」とか。
    でも現実には、その“能力上昇”が見えない。
    成果も見えない、成長もわからない、
    それでもやらなきゃいけない。
    これが一番きついし、逃げたくなる。

    成果なんて出なくて当たり前。
    辛くて当たり前。
    それでも、「成果を出すための行動」から逃げてはいけない。
    逃げの自分磨きではなく、勝負の行動を取る。
    涙が出るかもしれない。焦りも不安もある。
    それでもやる。
    “あきらめない姿勢”こそが、何より尊い。

    いつか成果は出る。
    でも、その“いつか”に期待しすぎても心が折れる。
    だから、「期待しつつ、期待せず」
    焦りつつ、焦らず。
    淡々と行動を続けるだけ。
    それが「逃げない自分磨き」だ。

  • 【行動できないときは、「0→0.001」に細分化せよ】

    目標はある。
    やる気もある。
    でも、なぜか動けない。
    前に進まない。

    そんなとき、もしかすると**「行動の解像度」が荒い**のかもしれない。


    たとえば…

    「何かの試験に合格したい」
    だから「勉強しよう」と思う。

    でもこれって、
    けっこうザックリしてる。

    “勉強”って、どこからどう手をつければいいの?
    その時点で、思考が止まり、動けなくなる。


    解像度を上げよう

    行動の第一歩は、できるだけハードルを下げる。
    そして「動くこと」そのものを習慣にしていく。

    たとえば──

    • 「1日1分だけ勉強する」
    • 「1日1回、問題集を開く」
    • 「まずは机に向かうだけでもOK」

    このレベルまで細かくすれば、行動は格段に起こしやすくなる。


    ポイントはここ

    “0→1”が一番難しい。
    だから “0→0.001” にしてしまえばいい。

    0.001でも動いたなら、それは“前進”。
    止まっているより、100倍マシ。


    高い理想を持つことは素晴らしい。

    でも最初に必要なのは「最小単位の行動」。

    まずは小さく、でも確実に。
    細分化して、動ける自分をつくっていこう。

  • 「行動すれば人生変わる」って本当か?

    行動すれば人生が変わる──
    そんな言葉、よく聞くし、たしかに希望がある。

    でも正直言って、そんな簡単に変わってたまるか。

    行動しなきゃ人生は間違いなく変わらない。
    これは真実だ。
    ただし──
    行動したからって、必ず変わるほど人生は甘くない。


    行動したのに変わらなかった人の声は、どこへ?

    「これやったら人生変わった」
    「この本で覚醒した」
    「この旅で目が覚めた」

    SNSにはそんな“ハッピーストーリー”が溢れてる。
    でもそれは生存者バイアスだ。

    世の中には、行動しても何も変わらなかった人、
    むしろ悪化した人、たくさんいる。
    でもその人たちは、発信してないだけ。


    それでも、行動しないよりマシだ。

    変わらないから人生だ。
    すぐに上手くいかないからこそ、人生だ。

    でも、それでもやるしかない。
    やらないと、絶対に何も起きない。

    ある日突然、美女に告白されたり、
    ドラゴンボール的な覚醒が起こる──
    そんな展開、漫画でしか見たことない。


    ゲームじゃない。「クソゲー」でもやる価値がある。

    ポケモンやパワプロのサクセスみたいに
    急にパラメーター上がれば楽だけど、
    人生はそんな風にはいかない。

    でも、それでもやるしかない。
    やり抜くしかない。
    歯を食いしばって。

    だって──
    そこにしか“価値”は生まれないから。


    最後に。

    うまくいくかなんて、正直わからない。
    でも、やり続けるしかない。
    泣いてもいい。
    しんどくてもいい。
    でも、逃げるな。

    やり続けた先にしか、人生は変わらない。

  • 「たまには、だらけてもいい。」 〜ストイックと堕落のあいだにある“ちょうどいい自分”〜

    最近、ちょっとしたことにイラッとして、感情を爆発させてしまうことが増えていた。
    仕事やプライベートの鬱憤が積み重なり、ストレスがじわじわと心を侵食していたのだと思う。

    自己管理にはそれなりに気をつけていた。
    早起き、食事制限、禁欲。
    いわゆる“いい習慣”をきちんと続けていたつもりだった。

    なのに、不思議とイライラは止まらなかった。
    むしろ、「イライラする出来事」を自分で引き寄せているような気すらしていた。
    スピリチュアルで言う「波動」ってやつかもしれない。
    感情がトゲトゲしていると、やってくる出来事もトゲトゲしている。

    そんなある日、ちょっと嫌なことがあって、全部がどうでもよくなった。
    気づけば酒を飲み、夜更かしし、朝寝坊して、まるで習慣をぶち壊すかのように“乱れ”まくった。

    でも、翌朝。
    なぜか気持ちはスッキリしていた。
    身体も軽い。むしろ快調だった。

    そこで思った。

    「あ、俺、“良いこと”ばっかやりすぎてたのかも」と。

    ストイックに頑張るのは良い。
    でも、それが息苦しさになっていたら、本末転倒だ。
    まるで、きれいすぎる川には生き物が住めないように、
    ちょっと濁ってるくらいの川の方が、自分には合っている気がした。

    もちろん、堕落しすぎて何もできないのはダメ。
    だけど、たまにサボったり、甘えたり、バカになったりすることも「生きるための知恵」かもしれない。

    人間、バランスがすべてだ。
    ストイックすぎてもダメ。
    だらけすぎてもダメ。

    その中間にいる“ちょうどいい自分”を探すこと。
    それが、「生きるってむずいなあ」と感じる理由なのかもしれない。

  • 不思議と、それは目の前に現れる

    最近、妙にイラっとする人に出会ったことはないだろうか?
    「なんやこいつ、めっちゃ失礼やん」「うわ、こいつの態度ムリ」みたいなやつ。

    でも、ふと考えてみると、こういう現象にはある“法則”が働いてるんじゃないかと思う。


    ◆ 不思議な法則:潜在意識が現実に出てくる

    スピリチュアル界隈でよく言われることに、

    「自分の内面が現実に映る」

    ってのがある。
    これ、信じる信じないは別として、実体験として「たしかに…」と思う瞬間がある。

    たとえば、


    ◆ パターン①:「昔の自分」が現れてきたパターン

    過去に自分が人に対してとってた“失礼な態度”や“雑な接し方”。
    それが、時間差で“そっくりそのまま”返ってくることがある。

    これ、まさに「借りは返すぜ」パターン。
    まるで過去の自分に請求書が届いたみたいな感じ。

    なんて失礼なやつなんだこいつは!
    …あれ?これ、昔の俺やん。

    ってなる。
    そう気づいたときはもう、感謝して内省するしかない。
    「当時、迷惑かけて本当にすいませんでした」と、心の中で頭を下げる。


    ◆ パターン②:「いまの課題」が露出してくるパターン

    こっちは、“いま抱えてる課題”が、そのまま目の前の人として現れるパターン。

    たとえば、自分が他人に頼れないことで悩んでるときに、
    「めっちゃ依存してくるやつ」が現れたり。

    自分が自信なくしてるときに、
    「妙にマウント取ってくるやつ」が現れたり。

    これって、自分の課題を“映してくれてる鏡”なんよね。
    見たくない自分の一部を、他人という形で見せられてる。


    ◆ 怪しい話に聞こえるかもだけど…

    でも実際、自分の内面を変えていくと不思議とその人物がいなくなったり、
    言動が変わってくることがある。

    これ、ほんまに不思議やけど、
    「内面が変わると現実も変わる」っていう法則、
    たぶんあると思う。


    ◆ まとめ:嫌なやつが出てきたら、サインかも。

    誰かにイラっとしたら、「こいつサイアク!」って切り捨てる前に、
    一回、自分を振り返ってみるのもありかもしれない。

    それはもしかしたら――

    • 過去の自分の“借金回収”
    • 今の自分の“課題の鏡”

    どっちにせよ、「見直すタイミングやで」というサインかもしれない。


    この世は、思った以上に不思議で、でもちゃんと繋がってるのかもしれない。

  • 行動こそが新たな兆しをつくる

    最近、ずっと不調だった。
    体調も良くないし、仕事の成果も思うように出ない。
    「積み上げているはずなのに、なんで?」
    そう自問する日が続いた。

    未来のために努力しているつもりだったのに、なぜか結果につながらない。
    気づけば、精神的にもジワジワと疲弊していた。

    そんな中で、少し立ち止まって考えた。
    「調子が良かった時と、今とで、何が違うんだろう?」
    答えは意外とシンプルだった。
    ──小さな習慣をサボっていた。

    「まあ、これぐらいはいいか」
    そんな些細な妥協が積み重なっていた。
    朝の掃除、夜の振り返り、軽い運動や瞑想。
    やっていたときは心が整っていたのに、今は全部抜け落ちていた。

    気づいた瞬間、それらを丁寧に復活させた。
    同時に「現状を打破するために、最低限やるべき行動」を洗い出して、手を動かし始めた。

    いきなり劇的に何かが変わったわけじゃない。
    でも、不思議と少しずつ「兆し」が見えてきた。
    行動したことで、感情が変わり、思考が前向きになった。

    やっぱり──
    人は、行動することでしか何も変えられない。

    これは当たり前のようで、ものすごく大事な事実だと思う。
    でも僕らは「行動から逃げる理由」をいつも探してしまう。
    知識を集めたり、正当な言い訳を用意したり。
    行動しないための努力だけは、妙にうまくできたりする。

    だけど、やっぱり人を変えるのは“行動”しかない。

    だから、今がどれだけ苦しくても、絶望してても、
    「とにかく、やれ。」
    それだけで未来はほんの少し、動き始める。